社会人博士パパのゆるゆる日記

会社員、博士院生、父親、かつモラトリアム人間の記録。

社会人博士はサスティナブルでリカレントでエキサイティング、でもシビアな道


リカレント教育へのニーズの高まり

最近「リカレント教育」というワードをよく耳にしますね。

生涯学習」とも似ている気がしますが、「リカレント」は「繰り返し」という意味なので、社会に出た人がキャリアアップ・キャリアチェンジのために再び学べるような場を提供しよう、という感じでしょうか。

最近政府はリカレント教育を推進していますが*1、実際私の身の周りでも、一旦社会に出た人がもう一度学びを深めたい、というニーズが結構あると感じています。

働いている同年代の人から「博士課程に興味がある」という話をよく聞きます。私はアラサーなのですが、年齢的にも今後のキャリアを考える時期で、選択肢として挙がりやすいのかもしれません。

進学を考えている人の中には、もともとアカデミックの世界に興味があってやはり研究者を目指したい、という方もいますが、仕事のキャリアアップのため自分に箔(博?)をつけたいという方も、感覚的には半分くらいいます。

ちなみに私は、もともとアカデミックの世界に興味があったので、博士課程に入った頃は研究職も視野に入れていましたが、最近は研究者としてのキャリアを歩むことにあまり興味がありません。 (これは、ポジティブな理由とネガティブな理由の両方ありますが、話が逸れそうなので、また気が向いたら書きたいです。)

価値観やキャリアパスも多様になっている世の中なので、アカデミックな世界に限らず、各人が働いてきたフィールドで活躍するために博士課程に進学する人は、日本でも今後ますます増えていくと思います。

社会人博士は最高のリカレント教育

社会人博士は、日常的に仕事と研究を両方続けるので、リカレント教育を日々繰り返しやっているようなものです。収入が途切れることがないので生活基盤を保つこともできます。サスティナブルでリカレントでエキサイティングな生活が送れる最高の選択肢ではないでしょうか?

ただ、博士課程は「博士論文として認められるクオリティをパスするための道のり」という性質上、博士を専業でやったとしても大変な道です。 働きながらとなると、相当の覚悟と計画性(+ 何かしらの諦め)が必要になります

...とは言いつつ、私自身はストイックさに欠けていてゆるい考えを持った人間なので、なんで社会人博士を選んだのかとよく思いますし、今でもよく分かりません。

とはいえ、博士課程だからこそ得られるもの、見られる世界は多いと思いますし、人生を豊かにしてくれる素晴らしい機会だと感じています。

社会人博士が一部のエリートやスーパーマンにのみ許された選択肢ではなく、もっと多くの人に開かれた、チャレンジしやすい社会であって欲しい、と私は思います。

シビアさにどう対抗していこう

ただ、「博士って、志がそんなに高くない普通の人に与えるための称号じゃないし、門戸を狭めて厳しくすべき」という意見は当然あります。

純粋に、博士の質を担保するためのシステムであれば必要だと思います。ただ現状では、歪んだ「厳しさ」の構造が、人間性を度外視してしまったり、無益なハラスメントを生んでしまうことが多々あります。

シビアで暗い現状も色々ありますが、個人が現実的にできることとしては、自分の持っているカードをうまく整備して立ち回りを工夫することです。これで解決できることも多いのではと思っています。

私は力不足のためうまくいってないことが多いのですが、いくつか工夫してきたことはあります。自分の今後の進み方を考える上でも、この辺も具体的にまとめていけたらなと思います。